吉備津の美しい夕焼けです。どうお感じですか。雲ひとつない空の夕焼けは人の人生を映し出しているかのようですが
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2015年10月24日土曜日
2015年10月19日月曜日
私の投稿したブログを見ておりますと16日(金)の文章が途中で切れて何を書いているのか皆目見当がつきかねるようなものでした。何処でどう間違えたのか分かりませんが、兎に角、変です。もう一回書いてみますのでよろしかったらご覧ください。
「七十五膳据神事は御供殿から始まります。その行列を飾る人達を紹介します。まず、榊を持った神官か先頭に、」
だけです。その後が抜け落ちているのです。では、続きを・・・・
「氏子総代ー神輿ー獅々2頭ー猿田彦ー鉄砲(男児)-鳥籠(女児)-弓持ちー矢持ちー鉾-大太刀ー小太刀ー五色の幣ー御冠ー宮司ー御掛盤ー高杯ー神酒ー鏡餅ー果物ー菓子ー絹布ー綿布ー平膳」
の順序で百数十人の長い行列が御供殿から回廊を通り続きます。拝殿まで到達したお供え物は順次神殿に神官によってお供えされます。神殿にいっぱいのお供えものが並び、此のお祭が終了するのです。時間にして約二時間弱のお祭りです。昔は巫子さんによる神楽の奉納があったと聞いておりますが現在では行われていません。
「七十五膳据神事は御供殿から始まります。その行列を飾る人達を紹介します。まず、榊を持った神官か先頭に、」
だけです。その後が抜け落ちているのです。では、続きを・・・・
「氏子総代ー神輿ー獅々2頭ー猿田彦ー鉄砲(男児)-鳥籠(女児)-弓持ちー矢持ちー鉾-大太刀ー小太刀ー五色の幣ー御冠ー宮司ー御掛盤ー高杯ー神酒ー鏡餅ー果物ー菓子ー絹布ー綿布ー平膳」
の順序で百数十人の長い行列が御供殿から回廊を通り続きます。拝殿まで到達したお供え物は順次神殿に神官によってお供えされます。神殿にいっぱいのお供えものが並び、此のお祭が終了するのです。時間にして約二時間弱のお祭りです。昔は巫子さんによる神楽の奉納があったと聞いておりますが現在では行われていません。
これで七五膳据神事のお祭の説明は終わりますが、一つだけ、まだ聞いてないので分からない事があります。何時か神社に尋ねてみたいと思いながらそのままになっておるのですが??
それは、現在、この本宮社にお祭りされている神々は、先にあげたように、孝霊天皇とその六人の皇子・皇女たちです。だから、その神々に平膳が七こお供えされるのだと言われております。それはいいのですが、今、この本宮社には、此の七名の神様の他に、明治になってから、川入の東山にあった新宮に祀られていた吉備武彦命や吉備の中山にあった内宮社に祀られていた吉備津彦命の妃であった百田弓矢比売命も合葬されているのです。そうすると、吉備津神社のお祭の時には、本宮社にお供えするお膳は七個だけではなく、もう二個必要なのではないでしょうか。
お祭の時には、そんなことを、いつも、思って、誰かさんの地下鉄の電車と同じで眠れないいのですが???
2015年10月15日木曜日
吉備津神社のお祭りは「御供殿」から始まります。「御供殿」とは、回廊の途中にある建物で、神殿に供える御掛盤など色々な品物を事前に用意し保管してある建物です。
このお祭りのまず最初は、御供殿のすぐ隣にある「本宮社」に、平膳七つが運ばれることから始められます。本宮社(正宮相殿)とは、『吉備津神社記』には、
1、孝霊天皇
2、千々速比売命
3、倭迹々日百襲姫命
4、日子刺肩別命
5、倭迹々日稚屋媛命
6、彦狭島命
7、若日子建吉備津日子命
の七柱の神々がお祭りされている社だとあります。七柱、即ち、大吉備津彦命の父君とその兄弟たちなのです。この神々にまず最初にお供えものが捧げられ、祭り本番が始まります。
さて、それから、いよいよ、このお祭りのクライマックスです。
長い回廊を通り、神殿にお供えものを奉る本番の長い長い行列が始まるのです。約2時間の絵巻物を見るような豪華絢爛たる、他に例を見ないお祭りです。
このお祭りのまず最初は、御供殿のすぐ隣にある「本宮社」に、平膳七つが運ばれることから始められます。本宮社(正宮相殿)とは、『吉備津神社記』には、
1、孝霊天皇
2、千々速比売命
3、倭迹々日百襲姫命
4、日子刺肩別命
5、倭迹々日稚屋媛命
6、彦狭島命
7、若日子建吉備津日子命
の七柱の神々がお祭りされている社だとあります。七柱、即ち、大吉備津彦命の父君とその兄弟たちなのです。この神々にまず最初にお供えものが捧げられ、祭り本番が始まります。
さて、それから、いよいよ、このお祭りのクライマックスです。
長い回廊を通り、神殿にお供えものを奉る本番の長い長い行列が始まるのです。約2時間の絵巻物を見るような豪華絢爛たる、他に例を見ないお祭りです。
2015年10月14日水曜日
七十五膳とは何でしょうか??
その前に、この吉備津神社の秋祭りですが、藤井駿先生の「吉備津神社」には、
“江戸時代には陰暦九月の中の申の日に行われた「大饗会(ダイキョウエ)」といったが・・・
大饗会というのは、要するに新嘗祭である。毎年の秋、備中の諸郷から新穀や果物や魚藻などを国の一宮である当社に献納し、五穀豊穣を感謝する大祭であった・・・”
と。書かれております。
この中の「備中の諸郷」とは、備中には、江戸時代には、全部で、七十三の郷あり、その他島嶼が二ヶ所、併せて75の郷から、秋の豊かな収穫を感謝するために、種々の収穫物を神殿に捧げたことが「七十五膳据」神事の始まりではないかと言われております。
その前に、この吉備津神社の秋祭りですが、藤井駿先生の「吉備津神社」には、
“江戸時代には陰暦九月の中の申の日に行われた「大饗会(ダイキョウエ)」といったが・・・
大饗会というのは、要するに新嘗祭である。毎年の秋、備中の諸郷から新穀や果物や魚藻などを国の一宮である当社に献納し、五穀豊穣を感謝する大祭であった・・・”
と。書かれております。
この中の「備中の諸郷」とは、備中には、江戸時代には、全部で、七十三の郷あり、その他島嶼が二ヶ所、併せて75の郷から、秋の豊かな収穫を感謝するために、種々の収穫物を神殿に捧げたことが「七十五膳据」神事の始まりではないかと言われております。
2015年10月13日火曜日
2015年10月12日月曜日
2015年10月9日金曜日
私はブログ(http://blog.goo.ne.jp/kibinaka1000)に、退屈に任せて、吉備津の事をあることない事といろいろと書いておりますが、この前、こんな問い合わせがありました。
「あなたの町は、どうして吉備津なの」と。
さて、あなたならどうお答えします???
「あなたの町は、どうして吉備津なの」と。
さて、あなたならどうお答えします???
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