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2016年5月29日日曜日

ホトトギスの初音では???

  今朝、3時か4時頃だと思いますが、吉備の中山あたりから、今年、最初のホトトギスの「テッペンカケタカ」の初音は聞こえてきたように思われました。「寝ぼけ耳」でしたので、はっきりと、それがという確信はありませんが。・・・・・・どなたか、お聞きになられた人はおられませんか。今年はちょっと、といっても4,5日早いだけですが、初音ではないかと思ったのです???どうでしょうか。

2016年5月28日土曜日

 昨日に引き続いて鳥の姿を写しました。今日飛び立ったばかりの巣立ちした小雀です。屋根の上でしきりに母親雀を、大きな口???を開けて、チィッチイと何回も何回も親を鳴き呼び寄せております。その小雀の近くを母親は飛びまわって、仕切りに飛ぶように催促しておるようです。と思う間に・・・・小雀も飛び立って私の視界から消え去ってしまうのです。そんなことを朝から何遍も繰り返しているようです。

2016年5月27日金曜日

 もう夕日が、大分西に傾いた時刻です。此の頃の私の運動不足解消にと、人並みに洒落て、近くをカメラを手にして散策しました。暫らく進むと、妹尾兼康の用水の側に一羽の「青鷺」です。時間があったので「此の青鷺はどうするかな」と、その後の行動を見ておりました。丁度、その時、向こうから、これも随分暇なそうな一人の紳士が散歩しながら、こちらに近ずいて来ます。
 その紳士と遭遇する刹那の青鷺は如何と???カメラを構えます。無心にシャッターを押します。その出来具合はと後から見てみますと、鷺が飛び立とうとする瞬間の足を上げた所はカメラの中にあったのですが、残念なことに、その飛び立つ瞬間の姿は、カメラの中には入ってはいません。我が腕の未熟さを嘆くばかりです。そのへたくそな、その時の鷺の様子を「ヘタクソだなあ」とお笑いながら見てください。



2016年5月15日日曜日

 今日は5月15日です。殆どの人はお忘れでは????と思いのですが、犬養木堂の暗殺された5・15事件の日です。84年も前の話になります。彼ほど平和ついて痛く心を悩ましていた人はいないと言っても過言ではありません。既に、78歳になっており、政界を引退して、長野県の片田舎で隠遁生活を送っていたのですが、その時の局面を打開するには「犬養木堂しかいない」と要望され、総理となって、再び、政界に引き戻されたのでした。その木堂が、かれの平和政策を遺憾とした軍部によって、1932年、5月15日、その銃弾に倒れたのです。
 その木堂の慰霊祭が、毎年、庭瀬の川入の生家とその墓地で行われております。今年も、その会に参加してきました。生家ではお琴の演奏も催され、その演奏を聴きながら御抹茶のサ―ビスも頂きながら、その遺徳を偲びました。

  




なお、一番上の写真は、吉備津神社にある朝倉文雄の木堂の銅像です。

2016年5月5日木曜日

 吉備津神社の造りは「比翼入母屋作り」(別名吉備津作り)と呼ばれていますが、この「比翼」というのは何だろうかとお尋ねした結果、アンサーとして

「葛飾北斎の北斎漫画三編にありますよ。」

 と、教えていただきました。早速、その三篇を見てみました。写真のような鳥なのだそうです。

 
 
 頭が二つ、尾が二つです。翼は、普通の鳥と同じで、二枚です。本来、鳥はすべて左右二つ翼があり、比翼なのが普通ですが、これを、特別に、普通の鳥と区別して、“比翼の鳥”と呼んでいるのです。この鳥は、驚くなかれ、翼を、一回羽ばたたせると,千里を飛ぶことができると云われる不思議な伝説上の鳥なのだそうです。(中国のお話です)
 でも、北斎の此の絵を見て居ると「一翼千里」なんて想像も尽きませんね???????